むらよし農園

面白いことが書ければと。

寂しさいっぱいの引っ越し

今週のお題「引っ越し」

 

僕が初めて一人暮らしをしたのは大学5年生の春。

 

四年間暮らした男子寮を出てアパートへと引っ越した。

留年すると寮から出ないといけない決まりなので泣く泣く引っ越したのを覚えている。

 

同級生たちは就職が決まり、それぞれの新しい職場へと旅立っていく。

地元へ帰るもの、東京に行くもの、全くゆかりのない県に行くもの。

各々が大学生活をやり切った、そして新天地への希望に満ちた顔をしていた。

 

そんな彼らと同じタイミングで、寮から1キロと離れていない場所へ引っ越すことのなんと情けないことか。

 

 

留年したことなんて何とも思っていなかったのだが、この時ばかりは激しく自分を責めた。(すぐになんとも思わなくなったが)

 

 

引っ越し先はごく普通のワンルーム

 

寮生活だったので荷物もめちゃめちゃ少なく、乗用車に一回で載るくらいのもんだ。

なので引っ越しは楽だった。寮を出る一か月前には部屋に入れていたのでコツコツと暮らし始める準備を進めていた。

 

新しいマットレスを購入し、部屋に置く。

何を期待していたのかセミダブルにしていた。

 

部屋をいじりながら、ふと泊まってみようと思った。

 

新しいマットレスで寝てみるのもいいんじゃないかと。

 

しかし、日が暮れてくると猛烈な寂しさに襲われて、逃げるように寮へ帰ったことが強く記憶に残っている。

あの時の寂しさは何だったんだろう。

世界で自分しかいないような、初めての国で迷子になったような、もう二度と故郷には帰れないような、それくらいの寂しさを感じたんだ。

 

 

それからあっという間に、寮を出て本格的に一人暮らしを始める日が来た。

仲良しの同期も同じ日に旅立っていった。

前日にもその前日にも。

仲間たちが一人また一人と去っていくのを見送ってきた。

 

そのせいもあって心に大きな穴が開いたまま僕は新しい生活を始めた。

 

 

家具はまだほとんどなく、マットレスとテーブルのみ。

今ではミニマリストになりたいとかほざいてる僕だけど、元々とんでもないミニマリストからのスタートだったんだ。

 

何もない僕の部屋は、気温以上に寒い部屋だった。

 

大学入学当初、あれほど憧れていた一人暮らし。

いざ始まるとこんなに寂しいものなのか。

 

常に近くに誰かがいる。

なんとなく誰かの部屋に集まっては自然と飲み会が始まる。

そのまま寝て起きて、朝になれば誰かが朝飯食べに行こうと言い、みんなでぞろぞろと向かう。

そんな生活を送っていた僕は、一人で時間を過ごすことが難しくなっていた。

(今となってはキングオブ一人暮らし)

 

あの男くさい生活はこんなにも得難く輝いた日々だったんだと気付かされた。

 

 

 

毎晩のように電話したりして寂しさを埋めていた。

 

新生活最初の週末に、僕と同じように留年して寮を追い出された同期達と僕の家で飲んだ。

 

これまで寮生活しかしたことない僕らは、常識的な声のボリューム設定を身に着けておらず、隣人から特大の壁ドンをされ、ベランダ越しに「うるせーぞ!!」というお叱りをいただいた。

 

そのまま明け方近くまで飲んで、その飲み会で部屋の鍵を無くす。

なんと清々しい新生活のスタートだろうか。

そこから鍵が発見されるまでの半年間僕は鍵なしで生活をしていた。

 

そっからの一か月の間に、ほとんどの家具を自作した。

DIYという言葉が流行り始めていたが、僕のはそんなかっこいいものじゃなく単にお金がないから作るしかなかったんだ。

棚や靴箱、収納に本棚と全て作った。幸いなことにバイト先にほとんどの道具はあったし、作るスペースも提供してくれた。

そのおかげで一か月で部屋は見違えるほど『部屋』になった。

 

しかし僕はカーテンをつけていなかった。

 

 

周りから丸見えになるような高さではなかったし、特に気にしていなかった。

今思うと頭がおかしかったとしか思えないが、当時はリアルに太陽が昇れば目覚める生活だった。

 

カーテンがないまま半年が過ぎ、父母が初めて高知を訪れた。

 

そこで僕の暮らしぶりを見たいと部屋にやってきて、カーテンがないということに心底驚いていた。

 

母に至っては悲しそうな顔すらしてた。

 

 

そして翌日、僕の学校の間に二人は観光に出かけた。

そして僕が学校を終えて家に帰ると、なんと母がカーテンをつけていた。

カーテンなしの生活を送る息子を不憫に思ったようで、僕が出かけた後速攻でニトリに行ったらしい。

 

 

そして僕の部屋に初めてかけられたカーテンはまさかの

 

 

 

 

 

 

ピンク色だった。

 

 

 

母のセンス大爆発のカーテンはいまだに僕の部屋で揺れている。

 

おわり